最近、ネドじゅんさんの「怒り」に関する記事を読んで、
わたしの中にあった“ある感情”に気づかされました。
それは、誰かに対してというよりも、
本当は自分自身が、ずっと感じていたことだったのかもしれません。
怒るのが苦手で、黙ってやり過ごしてきた日々。
でもネドじゅんさんの言葉が、
「怒り」は悪いことじゃない、
ただの体の反応なんだよと教えてくれました。
この記事はこんな方におすすめです:
- 怒ることが苦手で、いつも我慢してしまう人
- 自分の感情にフタをして生きてきた気がする人
- ネドじゅんさんの言葉を通して、自分の本音に気づきたい人
この記事では、ネドじゅんさんの言葉をきっかけに、
わたしが気づいた「怒りの正体」と、
それを通して出会った、ほんまの自分の声についてお話しします。
ネドじゅんさんが語る「怒り」とは
ネドじゅんさんの 記事を読んでいて、ある言葉に目がとまりました。
「怒りは気分じゃない、物質なんです」
最初はピンと来なかったけど、読み進めるうちに、
「イラッ」とした瞬間に頭の中でいろんなセリフが始まる理由や、
つい自分や相手を責めてしまう流れが、少し見えた気がしました。
怒ってしまうのは、性格や気分の問題じゃなくて、
体の中で何かが反応しているから。
それは、神経系やホルモンが関係していて、
いわば“物質が流れている”状態だと教えてくれたんです。
怒りを感じるのはダメなこと?
わたしはずっと、「怒るのはよくないこと」だと思ってきました。
感情的になると周りの空気を乱してしまう、
怒る自分は未熟で子どもっぽい、
そんなふうに思い込んでいたところがありました。
だから、腹が立ったときも、悲しかったときも、
たいていは笑ってやり過ごしていました。
笑えなくて顔に出ていた時もあったかもですが。
でも本当は、怒っていたのかもしれない。
ただ、それを感じないようにしていただけなんじゃないか。
そう思ったとき、ハッとしました。
「怒り」は体が出してたサインだった
ネドじゅんさんの記事で印象に残っているのが、
怒りは「体から出される物質」だという話。
ストレスを感じたとき、体が反応して、
神経伝達物質やホルモンが分泌される。
怒りもその一つで、流れているだけなんです、と。
だから、イライラしたときは、
いったん席を立って、トイレに行くか、お茶を飲む。
そうすると、その物質が血流で巡り、自然と消えていく。
この話を読んで、「あ、やってみよう」と思いました。
実際にそうしてみると、確かに、気持ちが少し落ち着いている。
ほんの少しのことだけど、それだけで違うんやな、と実感しました。
ほんまは怒ってた「わたし」がいた
そこから、ふと思い出すことがありました。
わたしはずっと、周りを優先して生きてきたなぁと。
誰かの顔色をうかがって、波風立てないようにして、
「いい人」でいることを選んできたように思います。
でも、それって本当に自分の気持ちだったんだろうか?
怒りや違和感を感じていた場面で、
「怒ってはいけない」と無意識に思っていたかもしれない。
あのとき、実は怒ってたのかもしれない。
そう思った瞬間、なんとも言えない気持ちが込み上げてきました。
うまく言葉にはできないけれど、
自分の中にあった“置き去りにしていた気持ち”に、気づいた感覚でした。
ドラマに巻き込まれないために
イラッとしたとき、
「また怒ってしまった」「わたしってやっぱりダメなんかな」って、
頭の中でいろんなことを考えてしまうことがあります。
でも実はそれ、出来事に意味をつけて、
どんどん自分を責める物語を作ってるだけなんです。
ネドじゅんさんは、それを“思考のドラマ”と呼んでいます。
怒りを感じたときは、そのドラマに巻き込まれず、
ただ「体が反応してるだけやな」って気づくだけでいいんだよ、と伝えてくれてます。
「怒りは気分じゃなくて、体が出す物質なんだ」と知ったことで、
怒ってしまう自分を責める必要はなかったんや、と気づけました。
そこから、グルグル思考にハマらずにすむヒントをもらえた気がします。
「怒り」もわたしの一部
「怒らないようにしなきゃ」じゃなくて、
「怒ってもいいよ、でも思考のドラマには入らなくていいよ」
そんなふうに思えました。
怒りを否定するんじゃなくて、
ああ、いま怒ってるな、って気づいてあげる。
その上で、どう動くかを自分で選んでいく。
そのほうが、よっぽど自分にやさしくいられるなと思ったんです。
怒りも、わたしの一部。
でも、それに飲まれずに、ただ見ていられると、楽になれます。
これがなかなか難しいんですけどね。
まとめ
怒りを感じるのは、悪いことでも恥ずかしいことでもない。
それは「物質」として体から出ている自然な反応であり、 思考でつくりあげるドラマとは切り離して見ていくことができるもの。
大切なのは、「怒ってしまった」と自分を責めるのではなく、 「ああ、いま怒ってるな」とただ気づくこと。
その気づきがあるだけで、わたしたちは 自分自身との関係をもっと優しく、もっと自由に変えていけるんだと、 ネドじゅんさんの言葉を通して感じました。
コメント